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ゼツボウクラブ

しんどい人間なんです。 どこからきて、どこにいくのかな・・・?

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ナキゴト

ナニゴトもなかったような日々。
ヒトリゴトで終わる生活。
それを繰り返し繰り返し。

そんなことだけの人生だった。

今日だけが精一杯で。
今日が終わる事だけが望み。
今日が終わる不安。

明日が来るまでの安堵。

朝が来て、ただ今日がはじまる。


http://www.youtube.com/watch?v=Kuf_nfEGqqE&feature=youtube_gdata_player


とぼとぼ。
もたもた。

だぁれも待ってなんかない場所へ。
メガケテ歩いて行く。




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  1. 2012/03/11(日) 22:02:23|
  2. 孤独な当事者
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ゲンジツノアリカ


・・・ぽつねん・・・と。

・・・ただ、あるだけ。

そこに。

いつもどおりに。

見つかったらジャマニされるから。

とおりすぎて行ってくれたらなぁ。


みんな、どこにいくんやろう。


遠すぎて見失う。


そんなことを。


ぽつねん・・・と。




オモウ。





  1. 2012/02/23(木) 21:18:04|
  2. 孤独な当事者
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あんへどにあ

『いちばんうまくやれることは、たおれたままでいることです』

先日、本屋をぶらついてたら飛び込んできた。

これはカフカの言葉。

ワタシもずっと小さい頃から同じようなこと考えてた。
だから、咄嗟に手にも取らず逃げ出してしまった。

うわー!また見つかってしもたー!って感覚。

けど、逃げたってことは図星だからで。

実はやっぱりほんとうはなにもしたくない。
なにもできない。
なにかが起きるくらいなら、起きない方がいい。
ただ、じっとしてたい。

そういう気持ちが持ち上がって来る事の不安はまだ感じている。
自覚しているし、それでいいと思う。

この感じはシンデたいって心理的な願望なんやろうな。
回復しても、ここからまたヨチヨチ歩いて行く道のりを想像して億劫になる。
もーここまで来たし、ゆるしてーなーって。
にげもかくれもせんから、どーぞお先にーって。
いけたらいくよーって。
なににも期待しなくていいことも、やっぱり孤独。
だから、ワタシは孤独がショウに合う。
ときどきサミシいけど。
ワタシと居てもサミシいだろうから。
ただ横になってたら過ぎ去っていけばいいのにな。
いいように。

落ち込んだり出来たら楽やのに(笑)
もー、そんなシラジラシい事も今更やれんし。
ニンゲンやるの、ワタシにはやっぱ向いてないんやなー。

雨のせいかも。
  1. 2012/02/06(月) 13:14:26|
  2. 孤独な当事者
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『ワタシ』という問題について

なんとなく、なにかが違うなぁー・・・っていう違和感があって・・・。
それはワタシジシンが問題にしていることと、他者がワタシに対して理解している問題についての違和感と言うものなんだろうなーと最近感じています。

講座やぬえっくで話したことは確かに大きな問題ではあったのだけれど、ワタシジシンとしては、それ以前の問題のほうが自分の中では最大のもので、回復したというのは一部分ということでしかないと言っても過言ではないのだけれど・・・。

そもそも、精神医療に頼らざるを得ないほどに壊れていってしまった経緯については、自分自身でも全く自覚がなかったことで、今年に入ってから自分の本質の部分と向き合っていくうちに解って来た事だったのです。

なぜ、こんなにも苦しいのか・・・とか。
なにが、こんなにもこわいのか・・・とか。
いきていることが不快でしかないという現実とか・・・。

そして、ワタシの中の執拗なニンゲン恐怖はどこからきているのか・・・とか。

そうやって、じわじわ滲み出してきたものが、ワタシの中にあった本当の問題であることに気づけるようになってきました。
それは、どれも信じたくないものばかりで、受け入れるより何より・・・見たくもないものでしかない。
まず、その事実に向きあえるかどうか・・・そんなところからはじめなければ、とてもじゃないけど受け止め切れませんでした。

なので、グループワークに参加して号泣していた時のワタシは、人前で自分をエグリダシテさらし者にしているような感覚で、かっこわるくて、反応がこわくて、もう気が狂いそうでした。
こんなこと誰にも見られたくないし話したくなんかあるはずのないことで、毎回、自己嫌悪とのタタカイでした。
毎回毎回、もう二度と行かないと思って、毎回毎回、今日は行かないと言い、毎回毎回ボロボロになりながらも参加し続けてきました。

ワタシは自分の世界しか知らないほど、ヒトとの関係性が希薄というよりも、関係が作れなかったと言うほうが近いのかもしれません。
自分で自分を演じて、そのことによって関係性を必死になって維持する。
そうしなければ、そうすることでしか、受け入れてもらうことが出来なかったから。
必要に迫られてやっていたことが、本当の自分を抹殺することであっても、そんなものどうでもいいような感覚で、かろうじて、ただ息をしているだけ。
それを子どもの頃から当たり前としていたので、これが問題だったなんて全く考えも及ばないことでした。

ワタシには子どもだったことがない・・・。
だから、子どもがわからない・・・。

今更そんなことに気づいてしまって・・・。

ワタシは何一つ出来ていない、ただのダメでだらしのない、ただのカタマリでしかなく、こんなニンゲンが生きていこうとするなんて、ただの迷惑でしかないって散々っぱら自分を責めあげました。

自分の存在を受け入れることなく生きてきてしまった・・・。
もう、こんなところまできてしまって・・・。
何もかもが、もう遅すぎる・・・。
そんなことしか考えられなくなっていました。

だから・・・本当に向き合うべきは、これからで・・・。

なにひとつ、終わってない・・・。

だからこそ、いきてみようと・・・。
ちゃんと自分を終わらせてやりたい・・・。

ワタシを支えてくれているひとたちに、ワタシが成長する姿を一緒に見ていて欲しいから。

なので、みなさん。
よかったらワタシのことを一緒に育ててもらえたら嬉しいです 笑












  1. 2011/11/22(火) 13:57:47|
  2. 孤独な当事者
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臆病風邪

ワタシの慢性の持病である臆病風邪が再発しておりました。

これは、最近分かったことなのですが、どうやら悪性のウィルス性の風邪だろうことです。
不摂生や運動不足などの生活習慣病とは全く関係のない、ヒトによる直接的なウィルスです。

これは、自分の危機管理では予防が出来ません。
出来ることといえば、耐性をつけること以外にはありません。

ヒトの、嫉妬や妄想、投影、無理解や、押し付け・・・などなど・・・。
他者のワタシに対する誤った価値観を強要されるという、ワタシにとってはとても暴力的な言動を投げつけられるのです。

そして、そこには小さな傷ができます。
それくらいでは致命傷にならないと思うのでしょうが、ヒトをコロスには十分な隙間ともいえるのです。



そして、それが発症してしまった時、どうなってしまうのか・・・。

自分自身の抵抗力のなさを責めて抱え込んでしまいます。
そして、ヒトにうつしてしまわないように、自らを隔離しようと考え始めます。
自分を疑い、ヒトを信じられなくなり、全ての関係を切断しようと考え始めるのです。
これが、どれほどの激痛であるのかは、ワタシにしか解らないのだろうと思います。
ニンゲンと関わり合いにならなければ、こんな風邪などひかなくて済むということを改めて実感させられる瞬間の痛み・・・。


だけど、安心してください。

この風邪は誰にでもうつるわけではありません。
むしろ、そんなヒトは稀です。

ただ・・・過去に一度でも、この風邪を拗らせたことがあるヒトにはうつってしまう可能性があります・・・。

そんなヒトは、ワタシには近づかないほうがいいでしょうね。

と、いうより・・・。
それ以外のヒトは近づかないほうが良いと言うべきなのかもしれませんね。

そして、こういうワタシが出来上がってしまったこと。
そんなワタシが回復した結果だけを見て嫉妬し経緯を完全に無かったものとして見ようともしない。
それをワタシが見せびらかしてでもいるように勘違いしてしまう。
なんでもかんでも相手の責任に都合よく転嫁して、自分自身を正当化するためにワタシを利用しようとする。

『あいつはビョーキだー』

ってね・・・笑



そして、もうひとつ・・・。

支援者が絶対に持ってはいけない価値観について。

それは、

『当事者は支援者によって支援してもらっている』

という価値観・・・。

これは知らずうちに、無意識とはいえ支援に携わるモノの言葉として適切ではありません。

当事者自身が、支援者に対して、心からそう感じた時に、唯一使える魔法の言葉だとワタシは思っています。
感謝の気持ちは、代弁することや強要することの出来ない神聖なものであると感じているからです。
それは、ワタシジシンが語ることであって、誰かにとやかく言ってもらえるほど陳腐なものではないからなのです。

誰かに助けられて生きながらえているなど、そんなことを他人から言われる筋合いは全くないのです。

回復しようと思う当事者の意思こそが、支援を必要とし、そして当事者自身が自らその問題に向き合う時に、それを支えあうために必要なこととは、互いを信頼し合うことからだとワタシは考えるからです。

信頼とは、相手の言いなりになることでも、守ってもらうことでもありません。

その危なげな様子を、ずっと側で見守り続けることが出来る強さのことなんだと実感しているから言える事でもあります。

と・・・長々書いてみました。

というか・・・書かされてる感さえしています 笑

こんなことを、いちいち言いたくないのに、言わされているような感覚です。

ただ、ワタシがこの風邪にヤラレテしまわずに居られるのは、そんなワタシを見守ってくれる人たちの存在があるからです。

そのことに、少しずつ気がつき始めたワタシは、とても心強くもあります。

どれだけワタシが泣いたとしても、それを咎めるヒトが居ても、泣けることを肯定してもらえることが、ワタシを受け入れてくれていることの事実として、とても大切なものだということを感じさせてもらうことが出来ました。

これも、たぶん、ワタシにしか解らない特別な贈り物なんだと思います。

そんな大切なヒトたちに、ココロから感謝したいと思います。

いつも、見守ってくださって、本当にありがとです。
これからも、いつまでも、見守っていてくださいね。

そして、こんなワタシにも出来ることとは、その事を語り続けることなのだろうと思います。

どんな形であろうと、ワタシがイキテイルことこそが、何よりその証明になるのかもしれないんだなって、そんなことを思いました。














  1. 2011/11/20(日) 22:57:37|
  2. 孤独な当事者
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